一代で財閥を築いた浅野総一郎

1)浅野総一郎の生い立ちや経歴

浅野総一郎は江戸時代の終わりの嘉永年間に生まれ、昭和初期に亡くなった、我が国を代表する実業家のひとりですが、特に一代で浅野財閥を築くほどの卓越した経営手腕でよく知られています。

もともと現在の富山県氷見市に医師の子として生まれ、実家は実業の世界とは特に縁があったわけではありませんが、別の医師の養子となって都市部で生活していたことがきっかけで、商売の世界に関心を持つようになります。
もちろん周囲からは医療で生計を立てていくことを嘱望されていましたが、それを当人が振り切って商売の道に進みました。

最初は地元の海産物を北陸に回送して転売することを思い立ちますが、これは船の難破によって多額の損失を出す結果に終わりました。
それでもあきらめることなく、明治初期に上京して、お茶の水界隈で夏の時期に砂糖水を販売して大ヒットします。

これは元手がほとんど必要ないアイディア勝負の商売でしたが、その後も同様に独創的なアイディアから財を成していくようすは浅野総一郎の真骨頂といえるでしょう。

2)知人の紹介で薪炭商へと転向する

水を売って得た資金で横浜に向かった浅野総一郎は、今度は贈答品を包むのに使われる竹の皮を販売して儲けを叩き出し、さらには知人の紹介で薪炭商へと転向します。

参考記事:浅野総一郎がアニメ「逮捕しちゃうぞ」についてまとめてみました。

ここでガス灯などの需要が全盛期を迎えていた当時、石炭からガスを製造していた横浜のガス局から、その副産物として発生したコークスやコールタールなどを安く払い下げてもらうことに成功したのが次の転機となりました。

ほとんど無価値と考えられていたこれらを、浅野はセメントの材料や消毒薬の材料に転用することでさらに資産を形成し、後には官営深川セメント製造所の払い下げを受けて、セメント王とよばれるほどの成功をおさめます。

セメントの関連事業でもガス、石油や汽船といったエネルギー関連、交通関連の事業を手がけ、後に巨大な財閥へと成長させた手腕は彼ならではといったところでしょう。

いっぽうで明治時代に欧米に視察に出かけた浅野は海外での港湾の隆盛ぶりと、我が国の港湾の貧弱さに愕然とし、京葉地帯の海浜部を埋め立てて、工場をその周囲に配置して効率化を図る、今でいうところのコンビナートの造成を思い立ちます。

これは当時反対もあったものの長い年月をかけて実現し、京浜工業地帯が発展する端緒となりました。
埋立をきっかけに造船業などにもたずさわり、特に第一次世界大戦の特需による好景気によって、さまざまな分野の産業をたばねる財閥としての成立を見るに至ります。